山南敬助

 天保四年(1833年)奥州仙台で生まれたとされているが詳細は不明。
山南敬助は仙台藩の脱藩浪士とされております。
彼だけでなくこの時代、脱藩浪士という者たちが増えておりました。彼がどのような事情で藩を離れたのかは、伝わっておりません。
しかし、この時代、それまで厳格に管理統制されていたシステム、徳川幕府を頂点とし、譜代、外様などの諸藩、そしてそれに仕える武士たちといった構造に変化が起こり始めたのです。
藩士とくに若い世代の武士たちが、藩という抑え込まれた枠組みから外れ、理想を追い求めようと次々と脱藩していったのです。
山南敬助もそんな志を持ち藩を抜けたのか・・・それは、わかりません。

山南が試衛館に入門したのは、万延元年(1860年)とされてますが、なぜ彼が試衛館にやってきたのかも不明とされてます。
山南の剣の腕は、北辰一刀流免許皆伝とされてます。
千葉周作を創始者とする北辰一刀流はこの時代、田舎剣法と言われた天然理心流とは違い、江戸の263ある道場の中で超一流とされる三大道場の一つとされてました。
その免許皆伝者がなぜ・・・試衛館にやってきたのか・・・
しかし、近藤勇は丁重に彼を食客として迎え入れました。
山南が近藤勇の人徳に惹かれたのかもしれません。
そして試衛館一門として浪士隊に参加し、京に上るのです。彼は何を想い近藤、土方らと浪士隊に参加したのか・・・
そして新撰組が生まれ、副長という立場となり、山南の近藤、土方そして新撰組への想いがどのように動きはじめたのか・・・
理想と現実・・・血に染まっていく新撰組への疑念・・・のちほど、語らせて頂きます。