新撰組武士道「切腹」

武士にとって切腹とは、犯した罪に対する刑罰として第三者から科せられる「切腹」と己の身の処し方として自分自身に科す「切腹」があります。
刑罰として武士に与えられるのは「切腹」と「斬罪〜斬首」ですが、「斬首」になるとは武士としての対面を保つ事すら許されないほどの重い罪を犯したときです。「切腹」は武士としての誇りをもったまま逝ける唯一の身の処し方なのです。
新撰組では「局中法度書」に違反したとして「切腹」という罰を与えたとして有名ですが、本来、武士道といいますか、本当の武士の世界では「切腹」などめったにあるものではなかったようです。
つまり新撰組とは武士道を極めた集団・・・というよりもそうなりたかった人たちが作った組織だったのでしょう。だからこそ端からみれば些細なことに「士道」という言葉をあてがって「切腹」というものに執着したのかもしれません。

新撰組では「介錯人」と呼ばれる切腹者の首を落とす人間を交互に選んでいたとも言われています。本来どんな剣術の使い手でもはじめて人を斬る時はためらうといいます。気が萎えいで斬ることができないと言われています。もしかして新撰組は、そんな萎えぐ気を狂わせるために「介錯」という手段を選んでいたのかもしれません。人を斬ることをためらわない精神を作ろうとしたとも言えるのではないでしょうか。
新撰組も「斬首」と「切腹」の刑罰を分けていたようですが、私は「新撰組の切腹」と「武士の切腹」とは根っこが違う気がしてならないのです。そして「介錯人」というものは、簡単にできるものではありません。
新撰組では沖田総司が山南敬助の介錯をしたと言われています。おそらく沖田総司ならば切腹人を苦しませることなく一太刀で介錯できたでしょう。が一般隊士が介錯する時は、何かしら不手際があり切腹人が苦しんだこともあったのではないでしょうか。

本来の「切腹作法」とは、とても細かい決まり事のある形式にのっとた儀式です。
身分ある武士の切腹と囚人としての武士の切腹とも作法が違ってきます。共通していることは、四方に砂を敷きその上に縁のない畳を二枚(三枚という場合もあります)敷き、その上に浅葱色もしくは、白い布を敷き切腹人が座るというものです。 検視人二名がまずその場に入り、次に介錯人が入ります。介錯人は無紋の着物に裃をつけ、右手に大刀だけを持ち入ります。そして次に介添人が介錯人の側に跪いて座ります。最後に白衣に介錯人と同じく無紋の裃(かみしも)をつけた切腹人が入ります。切腹人の前の三宝には刃先を残し真っ白な奉書紙を巻いた短刀がのせられる。場合によっては木刀も用意され選択は切腹人にまかされたと言われています。木刀のかわりに紙に包まれた扇子を用意されることもあったそうです。
実際に自分の腹を短刀で横一文字に斬り次に刃を上に向けて切り上げる者、木刀を腹にあてるもしくは扇子を当て(扇子腹)それを合図に介錯人が首を落とす者・・・その選択は切腹人にまかされたようです。
そしてこの時、介錯人は八相の構えをもって刀を振り下ろし首を斬り落としますが、けっして流派をあらわすような八相の構えをもって斬ることは無作法にあたるとして許されなかったそうです。 この儀式はあくまでも「切腹人」が主なのです。逝く者への敬意です。
はたしてこのような敬意をもった「切腹」が新撰組の「切腹」と同じものだったかは定かではありません。

切腹・介錯イラスト

下記イラストは新撰組活劇「いつかどこかで〜沖田総司」の切腹・新見錦と介錯人・沖田総司の挿絵です。本来の切腹の作法とは違いますが、沖田総司の構えが「八相」です 切腹、介錯人イラスト