新撰組〜間者

文久三年(1863年)九月、「八月十八日の政変」を境に新撰組は一浪士集団から京都の市中見廻り、治安維持を正式に任せられる組織となります。 しかしその時点では新撰組の内部は組織として確立していたとは言い難く、芹沢派、近藤派との対立そして隊内に抱える倒幕派より送り込まれた間者。それらの排除、粛清をしてはじめて近藤勇という唯一絶対の局長のもとでの統制された組織集団となります。 まず、九月十八日の芹沢一派の粛清をします。そして迅速に且つ慎重に倒幕過激派(長州藩が送り込んだとも)からの間者の洗い出しにかかります。壬生浪士組結成当初は一人でも多く人員を集めるために厳密な身元確認もしなかったようです。

文久三年九月時点で間者として洗い出されたのが以下の六名です。

■御倉伊勢武(国事探偵方)〜京都浪士
■越後三郎(国事探偵方)〜京都浪士
■松井竜三郎(国事探偵方)〜宇都宮浪士
■荒木田左馬之允(国事探偵方)〜京都浪士
■楠小十郎(平隊士)〜京都浪士
■松永主計(平隊士)〜京都浪士

同年九月二十六日、御倉伊勢武、荒木田左馬之允、楠小十郎は断首。越後三郎、松井竜三郎、松永主計は脱走。しかし彼らが実際のところ長州などから送り込まれた間者だったかどうかは定かではありません。御倉伊勢武にいたっては芹澤暗殺メンバーの一人という説もあります。