新徴組

幕府により招集された浪士組、 己の信念を持ち京都壬生に其の身を留めた者は新選組となり、
清河八郎に従った者は新徴組となる

試衛館一門が入隊した浪士組でしたが、清河八郎の策により、近藤勇率いる試衛館一門と芹沢率いる水戸浪士たちを残し文久三年(1863年)三月十三日に京都を発ち江戸に引き返します。
しかし江戸に戻った浪士組の中には、金品を脅し取るといった不貞の輩が続出したのです。清河八郎はその所業には一切構いませんでした。
そんな事態を見るにみかねた幕府側はまず、裏切り者でもある清河八郎の抹殺を計ります。

そして浪士取締役であった速見又四郎、佐々木只三郎らが赤羽橋で清河八郎を待ち伏せ斬り殺します。
そして清河の息がかかっていた者達を捕縛し幕府の監視下に置くのです。
清河の支配下にあった浪士組二百数十名は、文久三年(1863年)四月十四日付けで鵜殿鳩翁、松平上総介を浪士組の取締役として任命し、名を「新徴組」とし、彼らには江戸市中取締り役を任務として与え、三人扶持二十五両の給与とした。